お葬式
今日はおばちゃんのお葬式に行ってきた。
おばちゃんは僕のおばあちゃんの妹。
親戚の中でも一番面倒見がいいおばちゃんやった。
毎年ゴールデンウィークとお正月に親戚みんなでおばちゃんの家に集まって、BBQとかおせちを食べるのが恒例行事になってた。
そんなおばちゃんのお葬式。
兄弟が多いから家族葬やけど、最後は40人の大所帯になってた。
「お顔に触れられる最後のお時間です」そうアナウンスがあったから
この前お見舞いに行って顔は見れたけど改めて顔に触れてみる。
棺の中の顔はびっくりするぐらい綺麗で、今にも動きそうなくらい。
ほんとにいい生き方をしたんやなぁって顔やった。
当たり前やけど、悲しかった。涙が止まらなかった。
みんなもすごくすごく悲しんでて、ほんとに愛されてるんだな。ってもっと悲しくなった。
けど、みんな最後はあったかく、力強く行ってらっしゃいって送り出してきた。
そのあとは親戚といろんな話をして、
「来年またBBQしような。」
最後はそうみんなで約束して車に乗った。
お別れではあったけど、改めて家族の絆を感じれた時間。
自分も順番が来たらいっぱい繋いであげようって思った。
ほんとに悲しくてほんとにあったかい、そんな一日でした。
友達とは
あんまり友達について考えたことがなかったからめちゃくちゃ時間かかった。。
結論、友達とは「僕のまわりにいてくれる人」。うん、ざっくり。
別に熱く夢を語り合ったりするとかではなくて、なんとなく連絡とって、なんとなく会える人。
毎日一緒にいるわけじゃなくて、なんとなく散歩したいなとか飯食いたいなってときにタイミングが合う人。
都合いいというか、お互いに下手に干渉しない距離感が僕的には心地いい。
でも、決して無機質な関係ってわけじゃなくて、涙出るくらい爆笑したり、ケンカしたり、たまに泣いたりもできる人。
そんな人が友達なんかなって思う。
まぁでもそんな人って実際なかなかいない。
しかも歳を取れば取るほど肩書きやったり利害関係やったりで純粋に「相性ええなぁ」って思える人が少なくなるし、自分も心の中で「カッコつけな」って思っちゃう
それは大学に入ってからそれはめちゃくちゃ感じた。最初はフットサルサークルに入ったんやけど「なんかあいつイケてそう」から始まる謎の友達関係にめちゃくちゃ違和感があった。
なんていうんやろな。「側」から入ってるというか、芯からぶつかり合えへん感じ。イケてそうっていうところから入ってるから、お互いカッコつけて、衝突しそうになっても器用やから、下手な衝突がなくて、なんとなくで友達って名乗れちゃう。
けど、高校まではしょーもないネタとか、意味わからんことでガチギレしたりとか良くも悪くも、全力で体当たりできてた気がする。もちろん、ガチでぶつかってるから嫌われるときは本気で嫌われるし、その逆もそう。
その感覚で大学入ったからめちゃくちゃ違和感があったんよなぁ。やからすぐやめた。
やから、今でもずっと仲良い友達は高校までの友達だけ。
やっぱりカッコつけから始まる友達関係は自分の性にあってないみたい。
あと、長く続いてる友達の特徴をいうなら超がつくくらい素直なやつが多い。
だから真正面からバカにできるし、尊敬もできるし、一緒にいて落ち着く。
素直すぎるからムカつくこともめちゃくちゃあるけど、やっぱ死ぬほどおもろい。
そんな友達が多いかなぁ。
ネガやけど、自分はすぐカッコつけるし、馬鹿にされたら不機嫌になる。
やからどっちかっていうと素直ではないかなと思うんやけど、そういう友達に囲まれてるおかげで、ちょっとでも素直でいよう。って思える。芯では素直になんかな。わからん。
まあでも結論は、自分のまわりになんとなくずっといてくれる人は全員友達やと思ってる。先輩とか後輩とか関係なく、全員。
自分の人生とか性格とか、考えるたびになんで自分ってこんなにめんどくさいんやろ。ってうんざりする。だから、こんな僕と一緒にいてくれる時点で友達やなって思います。
みんな、ありがとう!
家族について
家族とは
むっずううううう。
なんでしょうか。
いきなり「家族ってなに?」って聞かれたら
「父、母、兄、姉、妹、弟」
このどれかって答えると思う。
つまり、血が繋がってる一番身近な人。
でも、よくよく考えたらどうなんやろ。
おじいちゃんおばあちゃんと住んでる人がいたら、それは家族っていうやろし、
ペットと住んでる人も「家族のポチです」みたいな感じでゆうてるよな。
あとは昔読んだ海賊と呼ばれた男の出光社長も「我が社員は家族です」ゆうてた。
だから必ずしも血が繋がってる=家族ではないんやろうな。
あくまでも個人の捉え方というか、認識のによる気がする。
とはいえ、僕が思う家族は「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、妹、弟」の範囲。
なんでかというと、「絶対切っても切れない関係」と思ってるから。
良くも悪くも100%切れない繋がり。
よく言えば絆かもしれないし、悪く言えば呪い。
そんな関係性が家族やと思ってる。
じゃあどっち?って言われると僕はまだ「呪い」の認識の方が強い。
どんだけ似たくないなぁって思っても知らず知らずのうちに影響受けて似ていってしまう。
それって呪いよな。
けど、その呪いを祓う方法もあると思ってる。(五条)
それは家族全員が自分の弱みを理解して、認め合うこと。
それか、他のコミュニティで家族って言えるくらい心を通わせられる人を見つけてもう一回子育てというか、育てられるプロセスを経ること。
このどっちか。
後者の方が楽っちゃ楽やとおもう。けど、落とし穴がたくさんある。
一番身近なのが恋愛。愛の擬似体験がしやすい。
けど、本当は愛じゃないのに、愛に見えちゃうのが恋愛の怖いところ。
それで愛やと思って家族を作っても、また同じことの繰り返しになってしまう。
とはいえ、全部がだめってわけじゃなくて本当の純愛もある。だから否定できない。
でも、僕は家族と向き合う。しんどいけど、まだ全員生きてるしちゃんと話せるから。
向き合った結果もう無理ならそれで良い。
けど、本当の意味で裏切りがなくて、純度高く弱みを認め合えるのは家族しかいないんじゃないかと思う。
だから、絆か、それとも呪いになるかは家族全員にかかってる。
生まれてから家族ってなんやろうとか考えなかった人は無意識に認め合えてる家庭に生まれてる。それって、ほんまにすごい。
お金持ちとかそんなんよりも本質的に裕福やなぁ。素直に羨ましい。
いやほんと家族を作るってとてつもなく責任がいること。すげえ。
すげえけど、俺も幸せな家庭作りたいな!!
まずは目の前のことから。一個ずつ片付けていこう。
余談ですが家庭で悩んでいる人はZORNの「家庭の事情」を歌詞付きで理解しながら聴いてみてください。
何か変わります。
私にとってのいい人生
口グセの「1番いい」を死ぬまで探していく。
これが僕にとってのいい人生。
1番いい食べもの。1番いい場所。1番いい音楽。1番いい友達。1番いい仕事。1番いい仲間。
ちなみに、この「いい」は好きとか落ち着くとかテンション上がるとか、いろんな動詞に置きわる。けど「いい」って便利やから置いとく。
ただ、僕にとっての「1番いい」には2つのルールがある。
一つは「自分にとっての」っていう前提があること。
誰かが言ってるからはだめ。それは、自分にとっての「1番いい」じゃないから。
たとえみんなに理解されなくても、自分にとって1番ならそれでいい。
そういう覚悟で1番いいものを探していく。
もう一つは1番いいものを手に入れる努力を怠らないこと。
なんでもそうやけど、「1番いいもの」は来るのを待ってたら絶対見つからない。
まずは、その1番が目の前を通りかかったとき、誰よりも先に気づけるようにまっすぐで曇りのない心で世の中を見るようにする。
そして、気づけたとしても、自分のものにできないと後悔して終わっちゃう。
だから自分のものにできるように、いろんな魅力を身につけておかないとダメ。
しぬほど本読んで、しぬほど勉強して、しぬほど遊んで、しぬほど失敗する。
そして、周りの人に感謝して、少しでも与えられる人になれるように努力する。
知識だけのあたまでっかちじゃだめだし、何も考えず動きまくるのもよくない。
誠実さとユーモアとちょっとの下心を持って1番を自分のものにする。それが大事。
まあでもこんなことゆうたけど、正直、何が1番かなんてだれもわからん。
けど、2番でいいかなって瞬間が増えれば増えるほどいい人生からは遠のくのは確か。
だからつねに1番を目指しておく。2番じゃないなら1番しか残ってない。
余談になるけどこのテーマほんまにむずかった。
一回人の言葉を借りて書いてみたけど、自分の腑に落ちてないのが気持ち悪過ぎた。
それで何回も何回も書き直して、気づいたら2週間ぐらい経ってた。
自分の腑に落ちてかつ、人に見せれる文章。むずかしい。。。。
何年後かに見たら浅いなぁってなるとおもうけど、これがいまの自分のありのまま。
自分なりの言葉でかけて、今はきもちいい。
今日も誰かに与えられたかなぁ。
今日もありがとう。おやすみなさい
僕の大事にしてる価値観
ぼくの大事にしてる価値観は、
「かっこいいほうを選ぶ。」だ。
ちょっと前まで、「迷ったら苦しい方を選ぶ」やったけど、最近これに変わった。
価値観の背景というか、なんで大事にするよになったのか語ってみる。
今まで、人生の岐路というか、挑戦するか諦めるか決断するタイミングが何回もあった。
一番大きかったのは高校と大学受験。
どっちも、第一志望は直前の夏になってもF判定。確率は大体15%ぐらい。
早く下げろって、先生にも親にも言われた。でも、「受けます」って言い続けた。
正直、全く確証はなかった。
「受かったらばりかっこええやん。」この妄想だけで、頑張ることを決めた。
そっから、死ぬほど頑張った。
半年間、9時から23時までの勉強を一日たりとも休まずやった。
何回も泣いたし、よくわからん頭痛にも悩まされた。
それでも「かっこいいから」これだけを根拠に頑張った。
結果、両方とも合格。
さいっっっっっこうに気持ちよかった。自分にかっこいいなって心の底から思えた。
そこが一番の原体験やし、がんばってよかったなって本気で思う。
あの経験で、根拠のない自信からちょっと根拠のある自信に変えることができた。
それから、大学生になっても迷う瞬間はいっぱいあった。見逃そうと思えば余裕で見逃せた。
その経験があるから、でも一回も逃げなかった。その度に向き合ってきた。
かっこいいを叶えた時の快感に勝るものは未だない。
あとは、そんなに大きくなくても日常の中でも決断するタイミングはいっぱいある。
ゴミがポイ捨てされてたり、セミが道路の真ん中に落ちてたり。
余裕で見逃せんねんけど、なんかかっこいいからとりあえず拾うし、草むらにおいてあげる。
「なんか起きる」→「かっこいいからやるか」
この感覚でやってる。
あといいのって、このかっこいいには他人の評価が入ってないこと。
自分がかっこいいと思ったらやる。自分の評価しか入ってない。
完全に自分流の価値観やから、正しいかどうかはわからん。
でもその判断基準で後悔したことはないから、現時点では正しい。素晴らしい。
とはいえ、まだまだ迷う瞬間ってのはあるし、自分にダサって幻滅する瞬間もいっぱいある。
だから、この先、何十年も経った頃には息をするようにナチュラルに、自然に、かっこいいことができる人間になってたい。
日々かっこいい自分に向けて頑張る。これが本質ナルシスト。
私の強みと弱み
強みと弱みか。就活で結構やったけどあのときからもうちょっと解像度は上がってる気がする。とりあえず出せるだけ出してみよう。
強み編
あえて弱みから書こうかなとも思ったけど、強がりなんで強みから書きます。
01.好奇心
まずは好奇心。小さいときからエグいほど好奇心は強かった。表じゃなくて裏も見たい。みたいな感情が強くて、おもちゃは絶対分解してたし、パズルとかも別の組み合わせ方ないかな。みたいなのを一生やってた。今でも、珍しいものをみたらまず触ったり、匂ったりしてみたくなるし、興味が湧いたら全部調べちゃう。だから、なにかとなにかの共通点みたいなところを探すのは自分でも得意やなぁと思う。結構役に立ってるから、好奇心は一番の強み。
02.コミュ力
2つ目はコミュ力。さきほどの好奇心にもつながるけど、話の引き出しがとにかく多いと思ってる。だから、年上年下関係なくある程度の話題は話せるし、仮に知らんくても純粋に興味あるから、いろいろ質問しちゃう。コミュ力なんか質問力なんかわからんけど、話してて飽きさせないって意味では自信ある。
03.要領の良さ
昔から、一回聞いて一回やってみたら大体のことはできる。(ダンス以外)。大学生の遊びでゆうたら、ボウリングも、ダーツも、カラオケも、ビリヤードも上の下ぐらいのレベルにはひょっといけちゃう。初速に関してはまだ負けたことない。初速以外が問題なんやけども。
04.逆境に強い
最後は逆境に強いとこ。「絶対無理やろ」って言われてからがハンパなく強い。「お前ら見とけナルシストモード」って呼んでるんですけど、そのモード発動して負けたことはまだない。メンタルの強さと言うか、負けん気みたいなのは人一倍強い。逆境フェチなんかも。
弱み編
・無駄なプライドが多い
一番は無駄なプライドが多いところ。岸和田のヤンキーと一緒で、ナメられたら終わり。みたいな感覚が昔からあった。それって裏返すと自分の弱いところを見せるのが怖いって意味で、踏み込んだ質問とかをされると、かわしてしまう癖があった。最近になって、徐々にではあるけど、弱いところを出してみるとか、わからないことはわからないって言うとか、無駄なプライドを削ぎ落とそうとしてはいるんやけど、まだまだ時間はかかりそうやな。とか思って落ち込むことも多い。。
・めんどくさがり
2つ目は根っからめんどくさがりなとこ。中学も高校も基本4日しかいけなかったし、バイトもろくに続いたことなんかない。なんとか要領の良さでカバーしてたつもりやった。でも、最近になってボロがでてきた。実はめちゃくちゃ周りに迷惑かけてたり、それでカバーできてると思ってた自分の愚かさに涙した。根底にあるのは周りに頼られへん弱さやったり、詰めの甘さやったり、そんな弱さの解像度が上がってきてめちゃしんどかった。自分1人で抱え込むぐらいなら周りに頭下げる謙虚さを学ばないとな。
・メンタル豆腐
最後はメンタル豆腐なとこ。こうやって自分のコアとなる弱みがわかってきたとき、とてつもなく鬱になる。簡単には治されへん絶望感とか、自分の理想像とのギャップにとてつもなく苦しむ。でもそれって現在地をうまく把握できてない証拠なんやろな。なんとなくの自己概念の高さを置いてもて、勝手に苦しんでるだけ。今を淡々と積み上げていく力がまだまだ足りてないんよなぁ。
まとめ
長くなりましたが、僕の強みと弱みはこんな感じ。やっぱ弱みと向き合うのってほんまに苦しい。。かっこつけてた過去の自分を否定する感じになるから、無意識に無駄なプライドが邪魔しようとする。言い訳しようとする。
でも、全部さらけだしてもなおかっこいい大人になりたいから、そう決めたから。その無駄なプライドをここでぶっ殺したいと思う。何回でも出てこい。立ち向かってやる。
私の苦手な人
きらいなことのついでに苦手な人も書いてみようとおもう。
一言で言うと、まわりが見えてない人かな。
満員電車でかたくなに手前から動かんやつとか。
エスカレーターで右側通行やのに右で止まりっぱなしとか。
人の流れめっちゃ速いのにスマホ見ながら急に止まるとか。
トイレでうんこ流さんままのやつとか。
いやちょっと周り見たらわかりますやん。って人が苦手。
なんかなぁ。恥ずかしいっていうか、なんでわからんねんって感じちゃう。
なんで俺が嫌な思いせなあかんねんって。
けどやってる本人ってそれに絶対気づいてない。
清々しいほどケロッとした顔で、もはや迷惑そうな顔でこっち見てくる。
全くハッピーなやつ。
ほんまは飛び膝蹴りぶちかましたいところやけど、そうゆの優しさで見逃してやってる。遅かれ早かれきっと別のやつがどついてくれるから。
やから、逆にそういうの見たら周りに感謝しよって切り替えてる。
いつものびのびさせてもらってありがとうございますって。
いまの自分ができてるのびのびは誰かの我慢の上に成り立ってるんやなぁって。
振り返るきっかけにしてる。
どんなイライラする瞬間でもなんか学びはある。
ただイライラするか学びにするか。
考え方次第やなぁ。